中村美律子、ごぎげんように出演、結婚し子供もいる、壮絶人生だった

中村美律子、ごぎげんように出演、結婚し子供もいる、壮絶人生だった
出典元:株式会社ゴールデンミュージックプロモーション

大阪のおばちゃんのような親しみやすい人柄で演歌の女王と言われている中村美律子さん。そんな中村さんについて色々調べてみたいと思います。

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ごきげんように出演

中村美律子さんが2015年10月19日(月)にテレビ『ライオンのごきげんよう』に出演されます。ちなみにもう1人のゲストも同じく大物演歌歌手の八代亜紀さん。

番組内容は、プライベートでは意外2人ということで、中村美律子さんは休日に運動しまくっているそうで、八代亜紀さんは深夜に通販番組にハマっているそうです。

番組で詳しい話が聞けそうですね。また他にどのようなトークをされるか楽しみですね。

そんな中村さんってどんな人なのでしょうか?

中村美律子 プロフィール・経歴

【芸名】中村美律子(なかむら みつこ)
【出身】大阪府
【生年月日】1950年7月31日
【血液型】B
【趣味】ゴルフ・ウォーキング・卓球
【その他】株式会社ゴールデンミュージック 所属

中村美律子さんは、1986年『恋の肥後つばき 夜の千日前』でデビュー。1995年には初の座長公演『美律子がつづる昭和の名曲 華麗!歌の華絵巻』で9万人を動員した。

1998年の座長公演『雲の上の青い空』では、10万人を動員し、それぞれの劇場の動員記録を達成。

以降、紅白や各種演歌番組の常連歌手として活躍し続けています。

デビュー作シングル
・1986年『恋の肥後つばき 夜の千日前』

代表作品CDシングル
・1989年『河内おとこ節』
・1991年『瞼の母』
・1993年『島田のブンブン』

結婚し子供もいる、でも壮絶人生だった

幼い頃から河内音頭の天才少女と評判だった中村美律子さん。しかし1986年にメジャーデビュー『恋の肥後つばき』をしたのは35歳の時という遅咲きでした。

6畳一間に親子7人が生活していた中村美律子さん。小学生の時に42歳という若さで母親を亡くし、その後、新聞配達をして家計を助け、中学時代はアルバイトで「河内音頭」をしていた。

そして父親のうどん屋を手伝ってる19歳の時に、河内音頭を聴かせてほしい、と芸能事務所の社長が訪ねてきて、歌手デビューさせたるからうちへ来い、と誘われたそうです。

そしてその事務所に入ることになった中村美律子さん。掃除やお茶くみをして半年過ぎたころに台湾で仕事があると言われたそうです。

1ヶ月したら迎えに来る、戻ってきたらデビューする段取りをつけておく、社長の言葉を信じて、振袖1枚と譜面持って、ひとりで台湾へ行き、社長から渡されたのは1万円のみだったそうです。

食事と泊まるところは用意されていたそうですが、1ヶ月経っても迎えに来なかったそう。台北、明日は台中とあちこち回り、売られたのとちゃうか、もう日本に戻れんのかもしれんと不安でたまらなくなったそうです。

そしてようやく帰国できたのは3ヶ月後の20歳の誕生日だったそうで、飛行機から大阪の街の灯を見て、涙が出たという。

やっと帰国、そしてデビューかと思いきやデビュー話は全く進展しておらず、騙されたことを知った中村美律子さん。

そのままその事務所を飛び出して、それからはキャバレーやヘルスセンターで歌っていたそうです。なんとその期間が15年というから驚きです。辛い長い下積み生活をよく耐えられたなぁと思いますね。

そしてようやく89年に出した『河内おとこ節』がヒットした。紅白初出場はその3年後だった。

それから、大阪から始まりジワジワと全国区へと知名度が広がっていき、人気演歌歌手へと上り詰めました。

いろいろ遠回りし、壮絶な人生経験をされましたけど、その時間で自分自身磨かれ財産だと思っていると語っていた中村美律子さん。ほんと素敵な女性ですよね。

中村美律子さんの結婚子供についての情報はあまりありませんでしたが、インタビューで自分が42歳の時、結婚して、子どもがいて、家もあり充実していたと語っておられたので幸せな家庭を築かれているんだなぁと思いました。

まとめ

中村美律子さんいはこれからもずっと元気いっぱいで素敵な歌声を届けていってほしいですね。頑張って下さい。

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