渡嘉敷勝男、現在の活動は?松本人志とのエピソードについて。

渡嘉敷勝男、現在の活動は?松本人志とのエピソードについて。
出典元:太田プロダクション

渡嘉敷勝男さんは「トカちゃん」の名で全国のお茶の間で親しまれていた元プロボクサー。そして元WBAジュニアフライ級チャンピオンでもあります。

そんなトカちゃんについて調べていきたいと思います。

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渡嘉敷勝男 プロフィール・経歴

【芸名】渡嘉敷 勝男(とかしき かつお)
【出身】沖縄県生まれ兵庫県宝塚市育ち
【生年月日】1960年7月27日
【身長】157
【血液型】A
【出身校】浪速工業高等学校中退
【趣味】ドライブ・ゴルフ・研究
【その他】太田プロダクション 所属

渡嘉敷さんは、幼少の頃からやんちゃで高校時代は喧嘩に明け暮れる不良少年だった。

そんな時、お父さんから「おい!頑張っている人を見ろ!」とテレビでWBA世界ライトフライ級タイトルマッチ具志堅用高対ハイメ・リオスを観たことがきっかけでボクシングを始めようと思い立ったそうです。

テレビで初めて具志堅さんを見て魂が震えたそうです。そして、その時に具志堅さんを倒そうという目標が出来たと言います。

それから、朝早く起き、走りこみ、死ぬほどバイトをして100万円の上京資金を作り東京へ。

少しでもバイト先に近いボクシングジムを探していると、1件あってそれが自分の目標である具志堅さんが所属するジムだったという。すごい偶然ですよね。

1978年12月にプロデビューを果たし、1980年2月には全日本ライトフライ級新人王を獲得。

1981年12月16日、世界初挑戦。金煥珍(韓国)を15回判定に降し、WBA世界ライトフライ級王座獲得。

同王座は具志堅さんが3月に14度目の防衛戦で敗れ手放していたもので、渡嘉敷さんにとっては9ヵ月前の先輩の無念を見事に晴らす形となった。

その後、5度の防衛に成功するが、1983年7月10日、6度目の防衛戦でルペ・マデラ(メキシコ)に4回負傷判定で敗れ、王座陥落。

不本意な形で王座を手放した渡嘉敷さんは10月にマデラと再戦するが、15回判定で完敗。

1984年8月、敵地でWBC世界ライトフライ級王者張正九(韓国)に挑戦するが、9回TKOに敗れ、世界王座返り咲きならず。

この時、「脳波が乱れてる」って医者に言われて3ヶ月悩んでいたそうです。そんな時に芸能界の仕事が舞い込んできたそうです。

もう、ボクシングできないならしょうがない。グダグダ言っても仕方ない。また違った新しい世界で身を立てよう!と前に進むことを考えるようになりました。

結果、チャンピオン後5回の防衛後に引退しました。

現在の活動は?

引退後、芸能界入りしタレントとして活動し始める。「風雲!たけし城」、「たけし・逸見の平成教育委員会」等にレギュラー出演。

「平成教育委員会」では毎回のように珍解答を連発し、多くの視聴者・出演者に笑いを提供し番組を盛り上げていた。

また、1987年にプロボクサーのライセンス取得を望んでいた片岡鶴太郎さんに、古巣に当たる協栄ジムを紹介するなど橋渡し役もしていました。

ちなみに具志堅さんは2010年に渡嘉敷さんと同じ太田プロダクションに所属することとなり、渡嘉敷さんは太田プロでは先輩となる。

東京都内に「渡嘉敷ボクシングジム」を開設。同ジム会長として後進の指導に当たっている。

ジムを開設してからは、後進の育成に力を入れるようになってきており、以前と比べると、タレントとしてのテレビ出演は減っている。

松本人志とのエピソードについて

渡嘉敷さんが、以前に住んでいたマンションにダウンタウン・松本人志さんも住んでいたそうです。

そしてある時、駐車場で渡嘉敷さんのバイクと松本さんの車が、衝突事故という状況になって興奮した二人が喧嘩寸前の状態に陥ったことがあったという。

松本さんは、この件について謝罪したい気持ちなんですが、不幸にも数年たった後でもテレビ番組で共演が実現していないとラジオでコメントしていたようです。

松本さんによれば、渡嘉敷さんがフルフェイスのヘルメットをかぶっていたため、相手が渡嘉敷さんだと気が付かず、気付いた時にはお互い興奮状態だったので、引くに引き下がれない状態だったそうです。

共演できそうな感じもするのですがね・・。

まとめ

渡嘉敷勝男さんの現在は、若手のボクシング育成に力を入れ、またタレント活動や講演などを行っていたようでした。

あまりテレビで見かけないのは寂しい気もしますが、今後も多方面において活躍していってほしいですね。

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