浜村美智子、結婚した人は元ボクサーの小坂照男で子供は?恵まれた家庭からカリプソの女王になるまで

昭和32年『バナナ・ボート』でデビューし、一世を風靡した伝説の歌手・浜村美智子さん。
日本人離れしたエキゾチックな端正な顔立ちに抜群のプロポーションは世間に衝撃を与えたことでしょう。
そんな浜村さんの結婚した旦那さんのことや経歴について調べていきたいと思います。
旦那は元プロボクサーの小坂照男で子供は?
浜村美智子さんは、1963年にプロボクシング東洋ライト級チャンピオンだった小坂照男さんと結婚しました。
浜村美智子 プロフィール
【芸名】浜村美智子(はまむら みちこ)
【本名】小坂美知子(こさか みちこ)
【出身】大阪府・玉造
【生年月日】1938年10月3日(2016年時点:78歳)
【血液型】O
【代表作】「バナナボート」「黄色いシャツ」「カリプリ娘」など
小坂照男 プロフィール
【本名】小坂照男(こさか てるお)
【出身】千葉県君津郡富津町
【生年月日】1940年11月18日(2016年時点:75歳)
小坂さんは、元プロボクサー。元日本ライト級、OBF東洋ライト級王者。現役時代は帝拳ボクシングジム所属。引退後の一時期は北海道ボクシングジムのマネージャーも務めた。
16歳の頃、帝拳名誉師範・荻野貞行さんの葉山の自宅へクリーニング店の配達に出向いていたところ、その筋力と面構えが荻野さんの目に留まり、帝拳に紹介されて心技両面から指導を受けるようになったそうです。
カウンターパンチャーが多い中、強烈な左右フックを武器にフルラウンドにわたって打ち続けることのできるファイターだった。
子供は?
浜村さんと小坂さんが結婚した翌年にお子さんを出産されているようです。
その後、芸能界を引退します。
しかし1965年にドラマ『忍者部隊月光』に悪の組織の女幹部役で出演し、女優活動を再開しました。
1972年にNHKの『思い出のメロディー』で歌手として復帰。それがきっかけで出した『黄色いシャツ』が注目を集め、オリコンシングルチャートにも登場し、ヒットを飛ばします。
この歌は、韓国人歌手の孫夕友さんの歌のカヴァーだったことから、韓国の大韓放送協会に招かれ、同国で初めて生放送番組に出演した外国人となりました。
恵まれた家庭からカリプソの女王になるまで
浜村美智子さんの実家は鹿児島出身で大阪城東区で鉄工所を営んでいたそうで、恵まれた家庭環境に育ったようです。
もともと絵が好きで成績もよくデザインなども得意な彼女は、1954年15歳で大学を目指す弟と共に上京する。
キングレコードでテストを受けるも不合格、ティーブ釜萢(ムッシュのお父さん)主宰のジャズ学校に入ります。
そして、その数ヶ月後には、昼間は高校に通い、夜は米軍のキャンプやキャバレーやナイトクラブでジャズを歌うようになっていました。
やがて、東郷青児さんと中村立行さんのそれぞれ絵とカメラのモデルを努めるようになり、朝は学校へ行き、昼からモデル、夜は歌う、というフルに活動するというすごい生活を送っていました。
1956年、セミヌードの写真集を出します。これが話題になり売れたことで、映画やレコード会社が殺到しました。
1957年、ハリー・ベラフォンテの楽曲『バナナ・ボート』をカバーし大ヒットさせ「カリプソの女王」として人気を集めました。発売1ヶ月で18万枚を売り上げ、最終的にはミリオンセラーの大ヒットとなりました。
当時、茶髪のロングヘアーにビキニ姿で歌う『バナナボート』は今のファッションに通じる格好良さがあると思います。
また、衣装は全部自分のアイディアだったそうです。当時まだお金が無かったという理由から『バナナボート』に合う衣装は何がいいかと思い考えついたのが、コーヒー豆の袋でドレスを創るということでした。
同年12月31日、第8回NHK紅白歌合戦に初出場。
その後も『バナナ・ボート』に続き『カリプソ娘』などを発表。
以降はアメリカにも渡り、CBSテレビに出演、ライフ誌にも取り上げられました。
アメリカでは振袖等も着て大好評だったそうです。
現在
ラテン・シャンソンを中心にダンスパーティー、ディナーショー等のステージに出演。
2013年12月31日、第46回年忘れにっぽんの歌に出演。
まとめ
元祖カリプソ娘も70代後半。さすがに表舞台に出てくることは少なくなりましたが、現在もハスキーでドスの効いた歌いっぷりとクール&ビューティーの妖艶さは健在。
確実に素敵な年の重ね方をしている女性です。