村上龍、結婚した嫁との出会いや子供は?学生時代は秀才であり問題児。


村上龍、結婚した嫁との出会いや子供は?学生時代は秀才であり問題児
出典元:Wikipedia

村上龍さんは1976年に小説家としてデビューし、それ以来、現在まで文壇のトップで活躍を続けています。また文壇以外にもテレビで『カンブリア宮殿』に出演しインタビュアーとして様々な企業の社長の話を聞き出しています。

そんな村上龍さんのプライベートである奥さん子供のこと学生時代のことなどを調べていきたいと思います。

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村上龍 プロフィール・経歴

【芸名】村上龍(むらかみ りゅう)
【本名】村上龍之助(むらかみ りゅうのすけ)
【出身】長崎県佐世保市
【生年月日】1952年2月19日
【血液型】O
【職業】小説家・映画監督
【学歴】武蔵野美術大学造形学部中退

村上龍さんは、父は美術教師、母は数学教師のもと長崎県で誕生。両親が共に働いていたので普段は祖父母に預けられ育ちます。

佐世保市立御船小学校、佐世保市立光海中学校を卒業。

そして、佐世保一の進学校である佐世保北高校に入学。

1971年、高校卒業後に上京。現代思潮社の主宰する美学校のシルクスクリーン科に入学するも半年で退学。

1971年10月から1972年2月まで、米軍横田基地に近い福生市に住む。

1972年、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン科入学。この頃より、福生での体験を元に小説を書き始めていく。

1976年、『限りなく透明に近いブルー』でデビュー。

作品は第19回群像新人文学賞を受賞、同年第75回芥川龍之介賞を受賞し、衝撃的なデビューを飾る。

芥川賞選考会では評価する一方と批判するという真っ二つに分かれ2時間にわたる論戦が起こっていたようです。

その後、大学を中退したのち本格的な作家活動に入っていく・・。

嫁との出会いや子供は?

1976年、9月にエレクトーン奏者の女性と結婚する。子供は男の子が授かりました。

そんな2人の出会いは
1973年頃、奥さんが浜松町の貿易センタービルでヤマハ音楽教室のエレクトーンを教えていたときに、村上さんが警備員のアルバイトをしていて、出会ったようです。

当時、奥さんの実家は西武新宿線沿線にあったようです。

真実かどうかはわかりませんが、驚くことの内容が書いてありました。

芥川賞作家の村上龍は、『限りなく透明に近いブルー』の頃に、当時、無名のエレクトーン奏者だった、後の直木賞作家の桐野夏生(きりの・なつお)と結ばれた。
その時とき産まれた男の子が、この御徒町凧だった。が、その後、養子に出された。

どこからそのような噂が流れたかわかりませんが、本当なら凄いですよね。

学生時代は秀才であり問題児

村上さんは「おまえはぜったいにサラリーマンになれない」と幼少期から親や教師たちにくりかえし、そう言われていたそうです。

そんな村上さんですが、佐世保一の進学校といわれている「佐世保北高校」に進学。

さぞかし勉強ばかりと思っていましたがどうやら高校在学中はロックバンドを結成するなど、けっこう好きなことをして過ごしていたようです。

そして事件を起します。

謹慎処分をくらう

卒業間近の高校3年生の夏に全共闘運動に参加し、学校をバリケード封鎖し無期謹慎処分となる。3ヶ月に及ぶ謹慎期間中だったそうです。

また村上さんが首謀者だったと分って、家族は血の気をなくしていた。

校門の柱や校舎の壁には「北高解体」 「学園解放区」 「国体粉砕」などスプレーペイントで大書し、屋上から垂幕まで吊した暴挙・・。

ただでさえ処分の厳しい名門校のことだから有無を言わさず「退学」を予期しなければならなかったという。

しかし当時の学校長は「将来ある若者を殺すようなことはしません」と諭されたとか・・。

そして村上さんは、どうにか佐世保北高校を卒業する事が出来たようです。

しかし三年生の間、学校封鎖等で、全然勉強には手がつかなかったようで希望の美大には合格しませんでした。

学生時代にそのようなことがあったとは・・温情あふれる校長先生でよかったですよね。

また、今現在小説家と活躍している村上さん。幼い頃から言われていたサラリーマンにはなれない・・当たっていましたね。

まとめ

村上龍さんの結婚や奥さんのこと、また学生時代についてふれてみましたがいかがでしたでしょうか?

けっこう早い段階で結婚されていたのがなんだか意外でした。子供さんはどうされているのかまた気になるところですが・・。

そんな村上さんですが、今ではエッセイ等を通し、さまざまな社会現象に対する発言を行ったりとほんとさまざまな分野で活躍されています。

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