笹本恒子、結婚・離婚を経て再婚。子供は?画家志望から写真家になるまで


笹本恒子、結婚・離婚を経て再婚。子供は?画家志望から写真家になるまで
出典元:YAHOO!公式サイト

笹本恒子さんは「女性報道写真家第一号」と言われている写真家。そして何よりも笹本さんの年齢102歳(2016年現在)というから驚きです。

25歳で報道写真家として活動し現在に至るまでに70年以上活動しているというから凄いですよね。

そんな笹本さんの結婚離婚再婚・・子供のこと、そして笹本さんが写真家として活躍するまでの経緯を調べていきたいと思います。

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笹本恒子プロフィール

【芸名】笹本恒子(ささもと つねこ)
【出身】東京都品川区
【生年月日】1914年9月1日

25歳の時に報道カメラマンになった笹本さん。

内閣情報部による国策機関。写真週報の編集なども担当。またいろいろな賞状の授与式や除幕式などの催事、海外使節団の動向、著名人や文化人の活動などを海外に紹介する仕事を行っていた。

結婚・離婚を経て再婚

報道写真家のキャリアを経て27歳結婚された笹本さん。お相手は同業者のカメラマンで理想のパートナーだったようです。が後に離婚されました。

離婚理由

仕事があんまりにも面白くて忙しくて・・二晩くらい寝ないで仕事をしていたこともよくあったという。

そんな忙しい毎日が続き、笹本さんから「別々に暮らしましょう」って言ったそうです。それは別れようと思って発した言葉ではなかったそうですが・・結果的に分かれることになっていきました。

そんな笹本さんですが、10年の結婚生活でわかったことは、彼のありがたさがよくよくわかったそうです。

ちなみに彼が再婚した後の奥様との間に生まれた2人のお嬢さんと親しくしているそうですよ。不思議な感じですね。

結局、嫌になって別れたわけではなくカメラの仕事が忙しくてすれ違いになっていったのでしょうね・・。

再婚

離婚した後、笹本さんは再婚しました。本人いわく「気の弱い人」だったそうです。

子供は?

子供さんについての情報や信憑性ある噂も一切なかったのでおそらくいらっしゃらないかと思います。

画家志望から写真家へ

本当は絵描きになりたかったという笹本さん。しかしお父さんは「女の絵描きなんてとんでもない」と大反対したそうです。

20代前半の頃、仕方なく高等専門学校の家政科に入学。でもやっぱり絵は諦められないと親に無断で退学をしました。

改めて、洋裁学校に入り直し洋裁の技術を身に付け、親戚の洋裁店を手伝いながら、絵画研究所の夜間部に通っていたそうです。

このことについては、母親が父親に内緒でこっそり通わせてくれたという。

その後1939年、日中戦争の真っ最中に設立された「財団法人写真協会」を訪れる。

そこで、写真協会を起ち上げた林健一さんという方から生まれて初めて、六つ切り(254×203ミリ)の写真を見せられ、その迫力にびっくりしたそうです。

またムッソリーニやヒトラーが写っている写真を次々と見せられ「これが報道写真というもの」「アメリカではマーガレット・バーク=ホワイトという女性の写真家が活躍していて『ライフ』誌の表紙も撮ってる」と。

その言葉を聞いた瞬間、笹本さんの頭の中で「パチパチパチッ!」って音がし、衝撃を受けたという。

それは『ライフ』の表紙を女性の写真家が撮ったなんて!・・・と。

そして、日本初の女性報道写真家になってみませんか?と言い出されたそうです。

カメラはほとんど持ったことがなかった笹本さんでしたが、マーガレット・バーク=ホワイトの話を聞いた瞬間、自分の中でドキーン! と来るものがあったそうで「それならば、わたくしがやってみようか」と決意したそうです。

1939年、25歳の時「財団法人写真協会」にカメラマンとして働き始めます。

絵画で養った美的センスと生来の度胸を武器に、また女学校時代に英語を学んだことが「あのお嬢さんは英語が喋れるぞ」と口コミになったりと色々学んだことが写真家として成長されていかれました。

現在は

いくつになっても勉強家でそれでいてブレナイ精神でありながらチャーミングな笹本さん。カッコイイ女性です。

そんな笹本さんは、自分ができることは、全部自分で行っているそうです。また肉が大好きで、赤ワインを必ず1杯飲んでいたそうです。好きなものを食べ続けるのも長生きの秘訣なのかもしれませんね。

そんなある時、ベストドレッサー賞を受賞した翌日に自宅で倒れて骨折してしまったそうです。

その時、おい夫婦や姪御さんたちに、助けられました。また退院後に入る鎌倉の老人ホームを探してくれたそうです。

そして、今回笹本さんが受賞した賞は、生涯を通じて写真界に貢献した人が対象という「ルーシー賞」を受賞しました。(ライフタイム・アチーブメント部門賞)

授賞式が行われる「カーネギーホール」に、行きたかったそうですが健康状態の都合上、代理人が出席するという。

いつまでも好奇心を失わない情熱こそが、いつまでも現役でいられる理由のひとつなんでしょうね。

まとめ

笹本恒子さんについて色々調べてみましたが、いかがでしたでしょうか?

今後も無理のないように、写真家として頑張っていってほしいですね。ほんとにカッコよすぎます!

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