ヤマザキマリ、結婚に至るまでの経緯や子供は?人気漫画家までの道程や母は?


ヤマザキマリ、結婚に至るまでの経緯や子供は?人気漫画家までの道程や母は?
出典元:株式会社CRG(クリエイティブ・ガーディアン)

テルマエ・ロマエ』で知られる人気漫画家のヤマザキマリさん。プライベートのことや人気漫画家になるまでの道程について調べていきたいと思います。

スポンサーリンク

プロフィール

【芸名】ヤマザキマリ
【出身】東京都
【生年月日】1967年4月20日
【その他】株式会社CRG(クリエイティブ・ガーディアン)所属

結婚に至るまでの経緯や子供は?

ヤマザキマリさんは、ミッションスクールに通っていた14歳の時に母親に勧められて1ヶ月ドイツとフランスを一人旅をしました。

そして、17歳の時にイタリアに渡ったヤマザキさんは、後にこのイタリアで11年間過ごします。

と、同時に一人の男性と出会います。

学生同士でシェアしていたアパートの隣の部屋にいた4つ年上の大学生だった詩人が好きになりました

この時の心境をヤマザキマリさんは、

あのときは、イタリアに居続けなければならない理由付け的意味もあって、積極的にその人のことを好きになったのだと思います。どんなに辛くても、フィレンツェにどうしてもいなくちゃいけないんだという強固な理由を欲して。

詩人というのは、要するに経済的生産性から離れていなければ成り立たない職業。お金に縛られる詩人なんて存在しない。だからヤマザキさんが彼を養い、作品を集めた本まで出版したそうです。

そんな彼に対して母親は、「あの人全然働かないけど大丈夫なの?」と思っていたそうですが一度たりとも別れなさいとは言わなかったという。

そんなある日、妊娠がわかり息子を出産。この時に人生の選択が訪れました・・。

当時のヤマザキさんは、自分一人の力では、詩人と子どもを養っていくのは無理だと思い別れることに決意。しかし2年間は別れる別れないでゴタゴタが続いたようです。

シングルマザーとなったヤマザキさんは、「油絵では食べられない。食べていくためには」と漫画を描こうと思いつき再び日本へ。

思うように仕事が舞い込んでくる。

そして35歳の時、14歳の時にヨーロッパ旅行で出会った方のお孫さんと結婚

その結婚相手は、14歳年下で研究者。そのとき、息子は7歳。母子は新しい家族と暮らすため再びイタリアへ。

結婚相手の彼はとても息子さんを可愛がってくれたようです。

それからというもの旦那さんの仕事の関係でイタリアから中東、ポルトガル、シカゴ、イタリアと引っ越し、いつも家族3人仲良く過ごされたようです。

人気漫画家までの道程

17歳で単身イタリア留学し、そしてシングルマザー、その後、国際結婚を経て・・と波乱に満ちたヤマザキマリさんが漫画界で有名になるまでの道程とはどういったものだったのでしょうか?

ヤマザキマリさんの父親は指揮者で幼少のころ死去。母親はヴィオラ奏者として札幌交響楽団に在籍していた。

2歳下の妹と共に、北海道の大自然のもと、シングルマザーとして奮闘する母に育てられた。

ミッションスクールに通っていた14歳の時に、母親に勧められて1ヶ月ドイツとフランスを一人旅。ちなみにドイツには母親の知り合いがいたそうです。

この時、高齢のイタリア人の陶芸家に出会います。

そして、その高齢のイタリア人に芸術のために旅をしていると話すと「イタリアを訪れないのはけしからん」と叱られたという。この時、14歳という年齢もあって家出だと疑われる。

後に母親がそのイタリア人に手紙を送って、娘は家出ではないと説明していたそうな。

この出来事がきっかけとなったのか、ヤマザキさんが高校生の時に、なんとそのイタリア人に招かれて17歳でイタリアに留学したそうです。

そして、フィレンツェのイタリア国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で美術史と油絵を学びながら11年間過ごします。

21歳の時、日本に一時帰国。

スキー旅行に向かう途中、交通事故にあう。その時、全身打撲で肺胞が潰れる重症を負うも一命をとりとめている。

フィレンツェ在住時、詩人のイタリア人と恋愛し妊娠発覚後、その詩人と別れ、男児を出産し28歳でシングルマザーとなる。

この時に漫画を描き始める。その理由は生活費を稼ぐためだったようです。

【漫画家デビュー】

1996年、イタリア暮らしを綴ったエッセー漫画でデビュー

同時期イタリアから一時帰国し、北海道大学や札幌大学でイタリア語の講師を務める。

また平行して北海道のローカルテレビ局札幌テレビの番組『どさんこワイド』で旅行・温泉のレポーター、ラジオパーソナリティなども務めていた。

【結婚】

2002年、14歳年下のイタリア人陶芸家の孫(のちに文学研究者の彼)と留学先のエジプトのイタリア大使館で挙式し、結婚

シリアのダマスカスや北イタリアでの暮らしを経てポルトガルのリスボンに暮らす。

その後、夫がシカゴ大学で比較文学を研究することになりシカゴに転居。

2013年2月26日、NHK『スタジオパークからこんにちは』に出演。

イタリアでの生活時に同居していた夫の家族の壮絶ぶりをギャグにして綴ったエッセー漫画『モーレツ!イタリア家族』や、自叙伝的昭和のノスタルジックストーリー『ルミとマヤとその周辺』などを講談社の『Kiss』で連載。

一方で、全く作風の違う古代ローマをモチーフにしたギャグ漫画『テルマエ・ロマエ』を『コミックビーム』などにも掲載。

これは、夫が「ローマ皇帝の名前を全員言えるほどの古代ローマおたく」で、日常会話でも古代ローマの話題が当たり前のように出ることに影響されたという。

【テルマエ・ロマエ】大ヒット

『テルマエ・ロマエ』が、受賞され話題に!
2010年「マンガ大賞2010」受賞。
2010年「第14回手塚治虫文化賞短編賞」受賞
2013年「仏アングレーム国際漫画祭」ノミネート
2013年「米アイズナー賞 アジア部門」ノミネート
2012年には日本で映画化された。

著書には
「モーレツイタリア家族」「ルミとマヤとその周辺」「男性論」等多数

近年の活躍
2015年より早稲田文学編集委員。
2016年『スティーブ・ジョブズ』などの作品により芸術選奨文部科学大臣新人賞(メディア芸術部門)受賞。

波乱万丈の中ですけれど、素敵な人生を送ってこられたヤマザキマリさんでした。

肝っ玉の母親

このように自由奔放だったヤマザキマリさんの母親はどんな方だったのでしょうか?

まったく世間体にとらわれない人で、子育てに関しても「こうしなさい」「ああしなさい」ということもなく、お母さんとしての立場の意識を必要以上に見せなかった。

必要最低限度のマナーは教えられましたが、どちらかというと躾的なことは祖父から「こういうときはこうしないと恥ずかしいよ」と言われる事の方が多かった。

置き手紙に「遊びに行く前に宿題をやってからの方が大いに遊べます」みたいなことは書いてあったようですが、「勉強しろ」とうるさく言われたことはない。

私たちにやらせたがったのは音楽だけ。バイオリンとピアノは凄く早いうちから教えられた。

音楽家として音楽をやることにまっしぐらだったから、周りの奥さんたちの噂話なんて眼中に入っていない。

お母さんの「母とはこうあるべきだ」といった固定観念を持たない方もいいですね。

まとめ

波乱万丈だけど楽しそうな人生のヤマザキマリさん。今後もどんどん活躍していってほしいと思います。

スポンサーリンク

フォローする

スポンサーリンク