中田喜子、夫の社長と離婚するも再婚は?実家は裕福で美人姉妹だった


中田喜子、夫の社長と離婚するも再婚は?実家は裕福で美人姉妹だった
出典元:(株)ホリプロ・ブッキング・エージェンシー

渡る世間は鬼ばかり』の三女・文子役でお馴染みの中田喜子さん。

中田さんといえば、渡る世間の人という感じでどんな人かわかりませんでしたが、色々調べていくうちにこんな女性だったのか・・とわかったことが多々出てきました。

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中田喜子 プロフィール・経歴

【芸名】中田喜子(なかだ よしこ)
【出身】東京都
【生年月日】1953年11月22日
【身長】155
【血液型】A
【特技】日舞
【その他】(株)ホリプロ・ブッキング・エージェンシー 所属

幼い頃から芝居が大好きだったという中田さん。

麹町学園女子高等学校を卒業した後は、女優の道に進むべく養成所に通います。

1972年、『お祭り銀次捕物帳』でデビュー。

『仮面ライダー』へのレギュラー出演などを経た後、1974年の『やっちゃば育ち』でヒロイン役に抜擢されます。

1979年から1988年には、NHKの『連想ゲーム』で、紅組のキャプテンとして活躍。

1990年、石井ふく子プロデュース作品に多く出演し『渡る世間は鬼ばかり』では、三女の文子役を演じ、お茶の間の人気者になられます。

三女・文子役は足掛け20数年に渡って演じてきたようです。凄いですね・・。

1993年、舞台『御いのち』で「第19回菊田一夫演劇賞」を受賞されました。

そして、1995年のNHK朝ドラ『春よ、こい』では、途中降板した安田成美さんに代わり、中田さんがヒロインを務められました。

こうして、実力派女優としての地位を確立されてきました。

趣味が凄い

中田さんの趣味は20代から始めたという「DIY」。その腕前はプロ級で「元祖DIYの女王」と呼ばれているようです。

始めたきっかけは、ドイツの人に影響されたそうです。

壁のペイント・壁紙の張り替え・ふすまの張り替え・椅子作り・椅子の張り替え・飾り窓の取り付け・パーテーション作り・ベッドのソファーへのチェンジ等を、自分でやられています。

達成感があってストレス解消になるんだそうです。

自らのプロデュースによりリノベーションし、DIYのやり方の本も出版されている。

著書
・『女優・中田喜子のDIY 手作り模様替え工房』

夫の社長と離婚するも再婚は?

中田喜子さんが25歳の時に、12歳年上で広告制作会社「日本サン・フィルム」の社長である山崎英一さんと結婚しました。

中田さんが彼の製作したCMに出演したのが、知り合ったきっかけだったそうです。

以来、子宝には恵まれなかったものの、夫婦水入らず穏やかな円満な結婚生活が続いているものと思われていました。

しかし、長年に渡り連れ添った28年の結婚生活は、夫の「浮気」が原因で熟年離婚という終わりを迎えてしまいました。

たった1度の夫の裏切りをどうしても許せなかったという中田さん。

きっとそれだけ、旦那さんを純粋に一途に想っていたのでしょうね。

慰謝料は受け取らず、東京・田園調布に建てた共同名義だった一軒家を旦那さんの所有分を買い取り、すべて自分名義にしたそうです。

でも、その家には住まずに現在は都内の超高級マンションで1人暮らしをしているようです。

では再婚の可能性はないのでしょうか?

現時点では、そういった噂やスクープされた形跡がありませんでした。今後、誰かいい人が見つかれば再婚される可能性はあるのでしょうかね・・。まだまだ若いし綺麗だしね。

幸せな結婚から浮気、離婚とかなり辛い時期があったでしょうが、それを乗り越え今は悠々自適な独身生活に満喫されているのでしょうね。

実家は裕福で美人姉妹だった

中田さんの実家は、築地の蒲鉾等の加工品の仲買(昔は製造もしていた)「増田屋」を経営。

5人姉妹の末っ子で、長姉・2番目の姉が双子。3番目の姉は元宝塚歌劇団京かおるさん。

ちなみに上のお姉さんたちが長男と結婚したため、元宝塚の三女が家業を継いだようです。

父親は美男子だったようで、中田さん姉妹は近所でも有名な美人姉妹だったようです。

美形の家系だったようですね。

お店は、さつま揚げなどの練り物から、またごぼう巻発祥の店とも言われている老舗だったようです。そのような中、おじいさんがさつま揚げを電気で焼いて作る機械を発明し、一気にお金持ちになったようです。

中田さんいわく「成金組」だったといいます。

さつま揚げは普通、油で揚げていたようです。戦後間もない頃に油が手に入らない時があったみたいで、結果、その機械がすごく売れたんだそうです。

当時としては、珍しい木造3階建ての一軒家で裕福な生活を送っていたようです。

1階には台所や食事をする広いスペースと祖父母の部屋があり、2階は父と母の部屋や子ども部屋、3階にはお手伝いさんの部屋があったようです。

その後、小学校5年生の時に両親が離婚し母親に育てられました。

母親が港区の青山に土地を買って一軒家を建てたようです。そこに20年くらい住んだそうです。

いつまでも上品な雰囲気がある中田さんは元々、育ちがいいということに納得しますね。

まとめ

年齢を重ねても美しく円熟味を増していき、これからの活躍もますます楽しみです。

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