仲代達矢、妻・宮崎恭子との馴れ初めや子供は?実は苦労人。無名塾とは。


仲代達矢、妻・宮崎恭子との馴れ初めや子供は?実は苦労人。無名塾とは。
出典元:無名塾 official site

映画が盛んな時代、銀幕のスターとして活躍された俳優の仲代達矢さん。

個性的な眼と声、大柄な体つき、綿密に演技を練り上げていく姿勢が多くの名監督をも魅了されてきました。

現在は、後進の育成に力を入れ、日本の演劇の伝承に情熱を注いでおられます。

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妻・宮崎恭子との馴れ初めや子供は?

仲代達矢 プロフィール

【芸名】仲代達矢(なかだい たつや)
【本名】仲代 元久(なかだい もとひさ)
【出身】東京都
【生年月日】1932年12月13日
【身長】178
【血液型】B
【その他】仕事所属/無名塾主宰

宮崎恭子 プロフィール・経歴

【芸名】宮崎恭子(みやざき やすこ)
【本名】仲代 恭子(旧姓・宮崎)
【出身】長崎県
【生年月日】1931年5月15日

宮崎恭子さんは女子学院卒業後、1950年に俳優座養成所に入る。

同期の小沢昭一さんたちと劇団新人会を結成。

女優として活躍する。

1957年、仲代さんと結婚。

以降、脚本家に転じ、舞台演出も手がける。

1975年に夫とともに俳優を育成する無名塾を主宰。

イプセン作の『ソルネス』の演出で1980年度芸術祭優秀賞受賞。

1995年夏、無名塾の全国公演中に体調不良を訴え、膵臓がんと判明。

1996年6月27日、65歳の時に死去されました。

奥さんが亡くなったあとの仲代さんは、深い喪失感になり後追い自殺まで考えるほどだったそうです。

どれほど、奥さんを愛していたか・・胸に突き刺さります。

馴れ初め

俳優養成所で宮崎さんの後輩だった仲代さん。

宮崎さんとは1955年に舞台『森は生きている』の共演が縁で1957年に結婚されました。

子供

1962年、宮崎さんが子供を死産してから夫婦に子供はいませんでした。

奥さんの妹でアナウンサーをしていた宮崎総子さんは特発性拡張型心筋症のため亡くなられています。

その娘さんを養女にと迎えられています。

仲代奈緒さんといって女優や歌手として活動されています。

実は苦労人

仲代達矢さんはのような大物俳優さんでも実は昔は相当苦労されていたようです。何事も順風満帆に過ごす人って少ないのかもしれないですね。

仲代さんは、幼い頃に父親を亡くし、また戦争で、貧困や空襲を体験され、とても辛い過酷な少年時代を過ごされたようです。

小学の時、あまりにも極貧状態で弁当のおかずもなかった時に、母親は教師から「ここはあなた方のような貧乏人が来る学校ではない」とののしられたそうです。

高校卒業後、定職に就けず、いろいろなアルバイトをしながら映画やお芝居を見に行っていたという。

そんな日々の中、「俳優座」公演を観劇した時に千田是也(せんだ これや)さんの演技に感銘を受けられます。

そして、1952年に「俳優座」養成所に第4期生として入所。

養成所時代は、バーで働きながら役者修行に励み、また俳優座へ通うための電車賃を節約するために徒歩で移動。

毎日同じ服を着て、人とはあまり話さず、目だけが異様な光を帯びていたという。

養成所に入り2年経過した頃、黒澤明監督の『七人の侍』でセリフなしの浪人役で映画デビュー。

しかし、このたった数秒の出演のための撮影にも関わらず、なかなかOKがもらえなかったという。

朝9時からの撮影で、ようやくOKが出たのは、午後3時だったというから驚きです。

時代劇の歩き方が出来なかった仲代さんは、黒澤監督をかなり苛立たせ、

「俳優座では歩き方も教えないのか」と罵られたそうです。

そしてこの屈辱感から、いつか必ず名俳優と呼ばれるようになり、絶対黒澤組には出ないと心に決意したそうです。

1955年、養成所を卒業後し俳優座に入団。

1956年、映画『火の鳥』では大役をつとめ、映画で本格的にデビューを果たす。

翌年の1957年映画『黒い河』では冷酷なヤクザ・通称人斬りジョーの演技で存在感を残します。

そして、上映時間が10時間という、驚くほど長い映画『人間の條』」では、主人公を見事に演じ、監督の小林正樹さんも感服するほどの、演技を見せられました。

以降、数々の映画や舞台に出演し演技の実力をつけていかれます。

東宝では三船敏郎さんに対抗できる敵役俳優として名前が上がるほど。

そして7年後が経過した1961年、黒沢監督から映画『用心棒』の出演依頼が来ました。

『七人の侍』出演時に黒澤監督から散々NGを出された記憶が残っていた仲代さんは、最初はずっと断り続けていたそうです。

しかし、黒澤監督本人に呼び出されて説得され、結局、最終的には根負けして、出演を決められました。

以降、数々の黒沢監督の映画にも出演し着々と俳優としてのキャリアを積み、数々の賞も受賞されます。

瞬く間に売れっ子スターになった仲代達矢さん。

しかし舞台の仕事へのこだわりから、大金を積まれても映画会社との専属契約をせずフリーの道を歩み続けたそうです。

仲代さんの作品や演技に対するこだわりから、自分自身が納得できる作品に、出演したかったのでしょう。

名スターと呼ばれる人は、筋が通っているというかやはりどこか違いますよね。

幼少期からかなり苦労されていますが、仲代さんならそれも演技の肥やしと思われていることでしょう。

無名塾とは

俳優座の看板俳優だった1975年に、妻の宮崎恭子さんと共に「無名塾」を創立し後進の養成を開始されました。

厳しい競い合いで、レベルの高い、魅力のある俳優をこの国で育てたい。

そんな思いからでした・・。

1975年3月、仲代さんの自宅稽古場に集う若い俳優たちの間で自発的にスタート。

1977年より塾生の公募を開始されます。

どのような塾なのか?

学費が無料、実力派の俳優である仲代達矢の指導が直接受けられる、そして多くの実力ある俳優を輩出しているため入塾審査の倍率は非常に高く、「劇団の東大」と称されるほどの狭き門。

養成コースは3年間。

1年目は人格的修練と共に、プロ俳優としての適性を見極めるトレーニングを行う。

プロへの可能性のある者には、さらに二年間塾生として養成。

塾自体は全寮制ではなく、塾生は自宅あるいは下宿先から稽古場へ通っている。

塾生のアルバイトは原則的に禁止されているが、どうしても問題がある場合は、入塾後に個別に相談に応じる。

出身俳優
映画やテレビ舞台で活躍している方々も実は塾生でした。
・役所広司
・益岡徹
・若村麻由美
・赤間麻里子
・真木よう子
・内浦純一
・滝藤賢一
・村上新悟
名だたる方達をみると、やはり演技派と呼ばれている人達ばかりです。

また、塾公演の殆どに参加し、外部出演も多く、演劇科の高校などでも指導に当たっている松崎謙二さん。

現在、演出家として活躍している石栗昌彦さん・大江さん。

しかし中には、成功するとは限らないということを仲代さんは語っておられます。

残念なことなのですが、
プロになってからも、「売れないかな、売れないかな」と、
キョロキョロするだけで終わっていく俳優は多い。

私は五十数年もこの世界にいますが、
優秀な新人が出てきたと期待されていても、
一時の売れたい願望による使われ方と運の悪さ、

そして、そんなことに気をとられ、
この努力をさぼっているうちに、
落ちていく俳優を随分と見てきました。

仲代さんの無名塾への情熱・思いが感じられます。

今もなお、仲代さんは、愛する奥さんと築き上げてこられた無名塾を現在も続けておられます。

まとめ

これからもまだまだお元気で俳優として頑張っていってほしいです。

ほんと素敵な年のとり方でダンディな方ですよね。

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