渚まゆみ、夫とは年齢差27歳の結婚、子供は?現在の活動


渚まゆみ、夫とは年齢差27歳の結婚、子供は?現在の活動
出典元:YAHOO!

夫は偉大な作曲家・浜口庫之助さんの奥さんで、また自身は女優・歌手として活躍していた渚まゆみさん。

そんな渚さんについて調べていきたいと思います。

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渚まゆみ プロフィール・経歴

【芸名】渚まゆみ(なぎさ まゆみ)
【本名】浜口真弓(旧姓:田代)
【出身】東京都
【生年月日】1944年10月10日
【身長】155
【血液型】A
【趣味・特技】ゴルフ・映画鑑賞・読書・料理
【その他】所属

1960年、大映第14期ニューフェイスに選ばれ芸能界入りを果たします。

1961年、映画『夕やけ小やけの赤とんぼ』で主演デビューをかざり、大映の新人スターとして売り出される。

芸名の「渚まゆみ」は作曲家の山田耕作さんが命名されたようです。

1966年、連続ドラマ『女の旅路』では主演の流氷の女を演じられます。

1972年には歌手デビューとしても。

以降、青春映画・時代劇など幅広いジャンルの映画・テレビドラマ・舞台・歌手活動と幅広く活躍。

その他の主な出演作品は、ドラマ『てっぺん』『ファイティングガール』、舞台『必殺仕事人 藤田まことオンステージ』、映画『仁義なき戦い』など。

夫とは年齢差27歳の結婚で子供は?

1973年、当時29歳だった渚さんまゆみさんは、56歳だった浜口庫之助さんと年齢差27歳の結婚をし話題になりました。

そして事実上引退されます。

翌年、長女を出産。

ちなみに浜口さんは1963年に先妻を病気で亡くされているので渚さんとは再婚になります。

子供

娘さんは、青山学院初等部から高等部までを過ごされます。

そして卒業後は、ロンドン大学に留学し大学院へ進み、抗がん剤と遺伝子の研究で博士号を取得されたといいます。

その後、ケンブリッジ大学の研究所で働いていたようです。

イギリス人のグラフィックデザイナーの方と結婚し、2008年に長女を出産されました。

かなり優秀な娘さんのようですね。

浜口さんはどんな人

浜口庫之助 プロフィール・経歴
【芸名】浜口庫之助(はまぐち くらのすけ)
【出身】兵庫県神戸市
【生年月日】1917年7月22日
【学歴】府立四中卒→早稲田大学中退→青山学院大学商学部卒

終戦後の1946年にジャワ島から引き揚げてきてバンド活動を始める。

ギタリストとして日本中を巡業して回ったのち、マンボグループ「アフロクバーノ」を結成し、紅白歌合戦に三年連続で出場。

1957年、浜口さんが40歳の頃、日本の曲を創作することこそが重要だと思うようになり、バンドを解散、歌手活動を停止し、作詞家・作曲家へ転向。

『黄色いさくらんぼ』(作曲)『僕は泣いちっち』(作詞・作曲)などを手がけた。

なかでも1960年の『有難や節』(作詞)は、社会風刺を歌に込めたものとして大流行した。

以後、『涙くんさよなら』『夜霧よ今夜も有難う』『空に太陽がある限り』など、数多くの流行の歌を生み出している。

最後の大ヒットとなったのは1987年の『人生いろいろ』(作曲)。

生涯で発表した数は約5000曲だそうです。

1990年には文化庁から叙勲(勲四等)の打診があったようですが、浜口さんは「大衆のために歌を作っている、勲章のため曲を作っているのではない」という思いから辞退したようです。

また、芸術家であることにこだわった彼は、曲は自然に生まれて来るものであって、何かを狙って書くものではないという信念を持っていたといいます。

1990年12月2日、喉頭ガンの為、癌研究会附属病院にてご逝去。73歳でした。

クリスチャンであったため、葬儀は東京都千代田区飯田橋の富士見町教会で営まれた。

現在の活動

娘夫婦と孫がいるロンドンとご主人との思い出が詰まった六本木の自宅を往復する生活で、一年の半分ぐらいはロンドンにいるんだそうです。

また、浜口さんが作曲した『バラが咲いた』を歌っているマイク真紀さんの芸能生活50周年を記念したイベントを企画するなど、アクティブに活動されています。

いつまでも若々しくて美しいです。

まとめ

いつまでも若々しい渚まゆみさんを見ていると、生き方に充実されているからなんだろうなぁと思いますね。

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