【紙ふうせん】に至る経緯が物語。後藤悦治郎と平山泰代が結婚した馴れ初めは?


【紙ふうせん】に至る経緯が物語。後藤悦治郎と平山泰代が結婚した馴れ初めは?
出典元:YAHOO!

夫婦デュオ「紙ふうせん」を結成する前はフォークグループ「赤い鳥」のメンバーとした活動していた後藤悦治郎さんと平山泰代さん。

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「紙ふうせん」に至る経緯が物語

赤い鳥は、1969年に結成。1970年代を中心に活動し、1974年解散

グループ名は鈴木三重吉主宰の児童雑誌『赤い鳥』からとった。

【メンバー】

・後藤悦治郎(ギター)
・山本潤子(ボーカル、ギター)(旧姓:新居)
・平山泰代(ボーカル、ピアノ)
・山本俊彦(ギター)
・大川茂(ベース)
・松田幸一(ハーモニカ、パーカッション)
【後期から】
・大村憲司(ギター)
・村上“ポンタ”秀一(ドラムス)
・渡辺俊幸(ドラムス、キーボード)

【メンバーの詳細】
後藤悦治郎
リーダー
真面目過ぎるが故に、時代遅れ感あり
実直な性格
京都外国大卒

山本潤子
ギター山本俊彦と結婚
帝塚山学院大学卒

平山泰代
後にリーダー後藤悦二郎と結婚
クラシックの勉強をしフォークは嫌いだったけど、
後藤さんにしつこく誘われ参加
武庫川女子大の音楽科卒

山本俊彦
長髪真ん中分けに無精ひげ
ちょいワル風
関西学院大学卒

大川茂
大人しくて温和な性格で不思議な存在
アメリカで結婚
解散後、山本夫妻と一緒にハイファイセットに参加し大成功
しかしその解散後は転落・悲劇の人生
関西学院大卒

大村憲司
その後、超一流ギタリストとなります
すごいテクニシャン
49歳でお亡くなりになりました
上智大学国際学部中退

村上“ポンタ”秀一
その後、ひっぱりだこの超一流ドラマーになります
大阪教育大学中退

各人がボーカルを担当することができ、美しいハーモニーが魅力的なグループだったといいます。

各地の子守唄・伝承されている歌などを美しいコーラスワークで聴かせる傍ら、ソフトロック的な音楽性も兼ね備えていた。

しかし、路線対立から1974年9月に解散。事実上、3分割されることになった。

解散後

後藤・平山の夫妻は「紙ふうせん」を結成
フォークのあり方を追求。

山本夫妻と大川さんは「ハイ・ファイ・セット」を結成
荒井由実さんやジャズを取り上げるなど、ポップな演奏を繰り拡げた。

渡辺さんは「ハミング・バード」を結成
赤い鳥の後期を継承するような音楽性を展開するも、アルバム1枚とシングル数枚で解散。

また、渡辺さんは1976年にさだまさしさんのバックボーンとなってプロデュース・編曲・バックバンドのメンバーなどで活躍した。

1983年には大阪府万博球場で再結成コンサートが行われた。

1991年、後藤・平山夫妻は新グループ(ユニット)「TSU-BA-SA」を結成。
2人のメンバーを新たに加えた4人編成で、90年代中頃まで活動を行っていた。

大川茂さんは1995年、横浜市青葉区の食料品店の事務所荒らしで見張りとして(共犯)逮捕。音楽活動には戻っていない。

【代表曲】
・「翼をください」新人奨励賞を受賞
・「竹田の子守唄」

後藤悦治郎と平山泰代が結婚!馴れ初めは?

尼崎北高校の同級生であった2人。

当時、平山泰代さんは高校のマドンナ的存在で、後藤悦治郎さんは何とかして自分の音楽グループに入れたかった。

しかし、平山さんの思いは「あたしはクラシックしかイヤ」と言い張っていたといいます。

そんな平山さんをライブに誘い続けて、やっとの思いで「赤い鳥」に入れることができたそうです。

もうゾッコンだったんでしょうね・・。

その後、74年に後藤さんは

「これからの人生、割り勘でいかへんか?」

とプロポーズし結婚した2人。

そして76年に「赤い鳥」が解散すると、2人は「紙ふうせん」として活動を始めた。

次の年「冬が来る前に」がミリオンセラーになった。

プロポーズした時の裏側

この「冬が来る前に」の歌には、2人を結婚へと導いたエピソードが秘められていたそうです。

あるインタビューで、2人は当時のことをこんな風に振り返っていた。

「確か22歳のときでした。王子動物園でデートして、僕の方から彼女にプロポーズしたんですが…」(後藤)

「この人ったら、桜かなにかの木に登って『OKしてくれなきゃ下りないよ!』って(笑)」(平山)

この日、後藤さんは30分ほど木の上で粘ったものの、結局平山さんに「二人の人生、まだ先が見えないのにYESなんて言えないわ」と、はぐらかされたという。

2人は気まずい雰囲気のまま、王子動物園と葺合(ふきあい)高校の間の坂道を下って家路を辿った。

プロポーズを断られた後藤さんは、その帰り道の光景を記憶に焼きつけていた。

それは、2人がまだ名も無いデュオを組んで一年も経っていない頃の1968年の夏の出来事だった。

後藤さんの脳裏には「あの日」の記憶をやきつけていた帰り道の光景がフラッシュバックして、一晩かけずに歌詞(冬がくる前に)が出来上がったそうです。

「あの日」のプロポーズから6年後に受け入れられ、はれて夫婦となりました。

現在

夫婦仲は良好で、「紙ふうせん」は近畿地方を中心に息の長い活動を続けられています。

まとめ

これからも素敵な夫婦で、また「紙ふうせん」として活躍していってほしいですね。

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