島田順子、夫は運命の人で子供や孫について。成功までの道程。


島田順子、夫は運命の人で子供や孫について。成功までの道程
出典元:ジュンコシマダ オンラインショップ 公式サイト

ファッションデザイナー・島田順子さんは、1981年にパリコレデビューして以来36年間も連続で出展されている凄いかた。

76歳(2017年時点)の今もファッションデザイナーとして世界で活躍されている、そんな島田さんの波乱万丈の人生にふれてみたいと思います。

【氏名】島田順子(しまだじゅんこ)
【生年月日】1941年
【出身地】千葉県館山市
【好きなもの】子供、友達、仕事、食事、料理、包丁、皿、台所用品、動物もの、ガラス
【学歴】杉野学園ドレスメーカー女学院卒業

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夫は運命の人で子供や孫について

1976年、島田さんは35歳の時に娘さんを出産しました。

父親は、雑誌ファサード-マガジンの創設者のアラン・ブノストさん。しかし結婚せずに未婚の母となります。

その後、島田さんが47歳の時に大恋愛をして結婚されます。お相手の旦那さんは2歳年下の山地三六郎さん。

山地さんは太平洋海運株式会社(現在は日本郵船の子会社)の創業家出身で社長まで務めた方です。

馴れ初め

出会いは、島田さんが42歳の時に友達に誘われて行った山地さん(当時40歳)の誕生日パーティーに何気に参加したことでした。

ただ、この時期は大失恋のショックから5年くらい泣いていて、恋愛という気が全くなかったそうで、また山地さんにも他の女性を連れていたといいます。

しかしその後、2人は5年お付き合いし結婚します。このとき島田さんは47歳、彼は45歳でした。

出会うべくして2人は出会った運命みたいなものを感じますね。

島田さんいわく、彼の気楽なところと、自分と同じくポカーンとしてるところが好きで、何かと歯車がすごく合っていたそうです。

ですが、結婚してからもパリと東京を往復する生活は変わらず、遠距離婚が続いていたようです。

1年のうち、一緒に過ごせる時間は半分強。

「お互いに離婚後、一人暮らしが長かったから、自分の仕事や空間が大事だと思っている。無理することなく、1ヶ月に何回か会うような生活が私たちにはちょうどいいんです」

価値観が同じだから、できたことなんでしょうね。

2011年4月に山地さんはお亡くなりになっていますが、旦那さんから初めてもらった指輪は今でも大切にされているそうです。

過去に泥棒に入られた時、この指輪だけは持っていかれなかったというから、何か特別なものを感じずにはいられません。

子供や孫は?

島田さんの娘さんは「今日子」さんといいます。既にお子さんもいらっしゃいます。

スタイリストを経て1999年から2007年まで「Junk by Junko Shimada」のデザイナーに就任。

2010年自身のパッションであるファッションと乗馬を融合させたブランド「ラヴァリエール」をスタート。

現在は、娘の今日子さんと孫とフランスのパリで同居されているようです。

Happy happy Easter #Mahca#Ima

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素敵な笑顔です。

デザイナー成功までの道程

「手に職をつけなさい」という母の勧めで洋裁の道へ進んだという島田さんは専修学校へ進学し、1963年に卒業しました。

1966年、25歳の時にフランスに渡ります。この時の思いは「パリに行きたい」という一心で大好きなヌーベルバーグのフランス映画の中に自分を立たせてみたかったそうなんです。

そんな島田さんがデザイナーになれたのは偶然だったと語っており、そこには幸運な出会いや巡り合わせがあったといいます。

・1966年 渡仏
・1968年 パリの百貨店「プランタン」の研修室へ
・1970年 デザイナー集団「マフィア」に参加
・1975年「キャシャレル」へ入社
・1988年 東京に「JUNKO SHIMADA INTERNATIONAL」を設立
・1981年 パリに「JUNKO SHIMADA DESIGN STUDIO」を設立
・2012年 フランス共和国芸術文化勲章(シュバリエ)受章
・2013年 東京オリンピック招致委員ユニフォーム監修(AOKI)
・2016年 パリコレクション70回・35周年を迎える。

パリの百貨店「プランタン」を紹介してもらった経緯は、カフェで声をかけられたのが始まりだったそうです。

その時、チーフのような立場にあった方と面接をおこない、その結果として研究所に勤めることになります。

その後、1970年にデザイナー集団「マフィア」に入り、デザイナーとして腕を磨いていくことに。

そして、1975年にはフランスでも大手のアパレルメーカー「ジャン・キャシャレル」に入社し、婦人服・紳士服・子供服のチーフデザイナーを歴任。

こうして経験を積み1981年に「JUNKO SHIMADA DESIGN STUDIO」を設立。

また、パリコレクションでデビューを果たします。

現在もパリと東京でコレクションに参加し、新作を発表し続けています。

パリコレを休まず続けている理由について「一度でも止まったらその人が終わりだと考えている」と言います。

もし、万が一止まってしまって再スタートをした場合、あまり上手くいことがないんだそうです。

以来、パリコレクションには33年連続で参加という快挙を達成。

まとめ

手に職をつけパリに渡り、未婚で出産、パリコレ、・・そして結婚と波乱万丈の人生を歩んでこられた島田順子さん。

ファッションは何よりも素敵で、生き方は自分に正直で、いくつになっても輝いておられます。

いつまでも幅広い人に支持されるデザイナーとして活躍していってほしいと思います。

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