岸田繁、結婚した妻や子供はどんな人?実家は大地主。メンバー脱退が多い理由


岸田繁、結婚した妻や子供はどんな人?実家は大地主。メンバー脱退が多い理由
出典元:くるり公式サイト

ロックバンド・くるり岸田繁さん。くるりのボーカリスト兼ギタリストとして活躍中。

独特な感性で創りあげるサウンドは多くの音楽ファンに愛されています。

そんな岸田さんの謎に包まれたプライベートに迫ってみたいと思います。

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岸田繁 プロフィール・経歴

【芸名】岸田繁(きしだ しげる)
【出身】京都府京都市北区
【生年月日】1976年4月27日
【身長】166
【血液型】O
【学歴】立命館大学産業社会学部卒
【好物】ラーメン・発酵食品
【その他】BAD NEWS 所属

岸田繁さんは、父親のクラシック好きに影響を受けて、幼少の頃から音楽に親しみ、京都交響楽団の公演を一緒に見に行ったりしていたそうです。

小学校6年生の時、通っていた学習塾でいじめに遭ったことがきっかけで中学受験を決意する。

見事、名門である立命館中学校に入学。お笑い芸人のサバンナ・高橋さんや八木さんも出身。

そして、その頃からロックに興味を持ち始め、レッド・ツェッペリンなどをコピーしギターの技術を上げていく。

高校1年生の時に、佐藤正史さんと出会う。

1995年、立命館大学商業社会学部に入学。

音楽サークル「ロックコミューン」に入り、そこで佐藤正史さんとバンドを組む。これが後のくるりの前身となります。

初期くるりのメンバーとなる、森信行さん(ドラム)や、大村達身さん(リードギター)と出会う。

1996年9月、アマチュアバンドコンテスト出場し、見事優勝。くるりが正式なバンド名に。

1997年11月、Bad News Recordsからインディーズ1stミニアルバム「もしもし」、2ndミニアルバム「ファンデリア」をリリース。

翌1998年には、SPEEDSTAR REDORDSから「東京」をリリースしてメジャーデビューを果たしました。

ソロ活動

2011年、映画「まほろ駅前多田便利軒」で音楽を担当し、初めてソロ名義の作品を発表。

2016年には、60周年を迎える京都市交響楽団のために、30分を越える交響曲を書き下ろし、2016年12月に京都での初演が決定。

現在は、京都精華大学の客員教員として教壇にも立っています。

結婚した妻や子供はどんな人

2000年5月に、一般の女性と結婚されているようです。ただ、情報がないためお相手がどのような女性か、子どもはいるのか等の詳細は分かっていません。

しかし、結婚式で『春風』という曲が歌われたという話は有名だそう。

『春風』は、くるりがインディーズ時代から演奏している楽曲。しかしアルバムには収録されておらず、「はっぴいえんど」へのオマージュとして作られた曲なんだとか。

また、岸田さんを検索すると「結婚」と同じく「離婚」のワードがよく出てきます。

噂だけが勝手に浮上しているのか、離婚したという事実はないようです。

情報がないだけに謎が多いですが、それもまたミステリアスでバンドマンという感じでいいのではないでしょうか・・・。

意外にもこんな人

自他共に認める筋金入りの鉄道ファン。自身の楽曲の詞の中に鉄道を登場させたり、鉄道をモチーフにした楽曲も多数ある。

鉄道雑誌レイルマガジンにコラムを連載していた時期があった。

本人曰く便器マニアでもあり、流れる音を聞いただけで型番がわかるそうです。

実家は大地主

岸田家は代々仏具製作を生業としてきた家系。跡取りがなかったということで養子になった曽祖父でしたが、仏具店を継がずにパン屋を始めます。それが成功し、大地主となりました。

【岸田家】

父方曽祖父・岸田藤次郎
岸田家の養子でパン屋を開業。

父方祖父・藤一
結婚後に出征し、戦地で気象観測手を務める。終戦後は捕虜となり、マラリアに羅患してしまい、昭和21年に帰国。

帰国後、藤一さんは、岸田繁さんの父・昭夫さんを含む幼い息子たちに、「学校を卒業したら、外へ出ろ。日本にいたらあかん」と言い続けたそうです。

父方祖母・重子
百貨店に勤務していた。

母方祖父母・一ノ瀬正二/一ノ瀬信子
一ノ瀬家は上海に渡り、商社を立ち上げ靴下の販売業を営む。しかし経営が行き詰まり会社も財産も失い、5年で日本に帰国。母の真知子は兵庫県西宮市で生まれる。

父・昭夫
クラッシック好き。広告代理店に勤務。
祖父・藤一さんの言葉通り外国へ渡り、中国に赴任。昭夫さんは、岸田繁さんによく「外国へ行け」と言われていたそうで、もはや家訓のようなものになっていたようです。

母・真知子
大阪で医療事務の仕事をしていた。

先祖、父母にもそれぞれが歴史というものがありました。

メンバー脱退が多い理由

ロックバンド・くるりのボーカリスト、そしてギタリストを務める岸田繁さん。

くるりの中心人物でくるりを引っ張ってきた人物でもあります。

そんな、くるりはメンバーチェンジの多いバンドとしても知られております。

なぜそこまでメンバーチェンジが多いのでしょうか?

岸田さん自身もファンから「自分勝手に辞めさせた」と批判を受けたり、炎上したりすることがあったそうです。

でもその実情は、必ずしも岸田さんの「自分勝手」とは言い切れないようです。

それは脱退理由を探っていけば、わかっていくのかもしれません・・。

結成当初、メンバーだったドラムの森信行さんについて
彼の熱意の不足にあった。

技術面では高かったが、プロデビューしたてのくるりは、プロらしいパフォーマンスができていませんでした。

そこをなんとか新人でしたが、熱意でカバーしようと試みましたが、森信行さんはうまくのれなかった様子。

ギタリストの大村達身さんを迎えるも、結局上手くいかずに脱退。

これについて、森信行さんいわく

「浮かれてたのかもしれない」「戦っていくというような感覚があまりなくて」と。

それが分かり始めたのは、くるりを脱退して、バンドサポートをやるようになってから。「ああ、なるほど」と感じたそうです。

2人目のドラマー・クリストファーについて
彼によって、くるりの音楽がとても良くなったことを認めていましたが、彼の精神的な不安定さが深刻な事態となり、解雇に至ったそうです。

2006年の末、ギタリスト・大村達身さんが脱退。

これは、くるりの音楽性の転換によるものだそう。そのため、大村達身さんにとって、非常にやりにくい環境となってしまいました。

そして岸田さんは作品重視のアーティストであったため、結果として、大村さんが身をひくことに。

近年では、2011年に田中佑司さん、吉田省念さん、ファンファンさんが加入。

しかし田中佑司さんは、メンバー同士のコミュニケーションを理由に半年で脱退。

吉田省念さんは、2013年にシンガーソングライターとして独立。

このように、くるりの激しい出入りは、岸田繁さんの勝手さや性格が原因といえばその通りかもしれません。

しかし、それは、彼の音楽に対する情熱、真摯さ、くるりを向上していくという気持ちの表れだったのではないでしょうか・・。

まとめ

岸田繁さんのプライベートについて書いてきましたが、いかがでしたでしょうか?

良くも悪くも話題がつきないくるり。

今後の活躍に注目ですね。

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