舟木一夫、妻や子供はどんな人?学生服だった理由。転落人生とは?


舟木一夫、妻や子供はどんな人?学生服だった理由。転落人
出典元:日本コロムビアオフィシャルサイト

大ヒット曲『高校三年生』でデビューし絶大な人気を博した舟木一夫さん。

70歳を過ぎてもなお、ファンを熱狂させる魅力を持つ舟木さんは順風満帆に見えて実は山あり谷ありの人生を歩んでおられます。

そんな舟木さんについて調べていきたいと思います。

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舟木一夫 プロフィール・経歴

【芸名】舟木一夫(ふなき かずお)
【本名】上田成幸
【出身】愛知県一宮市
【生年月日】1944年12月12日
【身長】172
【体重】66
【血液型】O

1963年、舟木さん19歳の時にシングル『高校三年生』が230万枚の大ヒット。NHK紅白歌合戦に初出場。

1965年、映画『東京は恋する』に出演。

のびやかな美声で1960年代を中心にヒットを飛ばし、同じ時期にデビューした西郷輝彦さん、橋幸夫さんとともに「御三家」として人気を集める。

青春ソングの定番『高校三年生』に代表されるように、学生時代を題材にした歌謡曲のほか、『銭形平次』のテーマソングのように、時代モノも数多く歌っている。

また舞台などにも出演し、多彩な活動をしている。

妻や子供はどんな人

当時、舟木一夫さんが29歳の時に7歳年下の一般女性と結婚しました。

奥さんは音大を出た才媛で、その後舟木さんの不遇時代を支えました。

また奥さんはブラッド・ピットの大ファンだそうです。

子供は

2人の間には1人息子さんがいます。

慶應義塾大学を卒業し、一流企業に務められているようです。

息子さんに対して舟木さんは

「男同士の口約束は絶対に守れ」

と教育していたようです。

その息子さんが小学校4年生の時に

舟木さんが

「何か欲しいものは?」

と聞くと、すると息子は

「自分の部屋が欲しい」。

舟木さんは「あと2年待てるか」と約束。

2年後、中学受験を控えた息子さんにプレゼントし「男の約束」を果たしたそうです。

素敵なエピソードですね。

学生服だった理由

「松島アキラショー」でステージ上の松島アキラさんがヒット曲『湖愁』を誰か歌わないか?と客席に声をかけたところ、高校生が勢いよく手を上げ、舞台に上がり歌った少年がいました。

それがのちの舟木一夫さん。当時高校2年生でした・・。

たまたま偶然そこに取材にきていた「週刊明星」の記者・恒村嗣郎さんが少年に目をつけ、ホリプロの会長だった堀威夫さんに紹介することに。

才能を感じたのか、その後、少年を上京させ日本コロムビアのディレクターだった斎藤昇さんに紹介。

斎藤さんは作曲家・遠藤実さんにレッスンを受けさせることにし、愛知高等学校から転校した自由ヶ丘学園高等学校へ通いながら、遠藤実さんのレッスンを受けることとなった。

そして少年は芸名を「舟木一夫」とし、ホリプロに所属することに。

社長の堀さんは、当時デビュー2年目の全盛期を迎え、舞台で時々学生服を着て歌っていた橋幸夫さんの対抗馬として、当時現役高校生だった舟木さんを学生服デビューさせると決定。

人生ってどこにチャンスが舞い込んでくるかわからないし、行動することによってプラスか?マイナスか?・・・何かを得るんだなと思いますね。

転落人生とは?

舟木さんの父親は劇場を経営していました。しかし他人の借金の保証人になり劇場を手放すことに。

それからは、長屋に住み極貧生活を送っていたようです。学校に弁当を持っていけない日は、一旦昼休み家に帰り、ソースをかけてご飯を食べていたそうです。

小学校1年生の時、両親が離婚して父親に引き取られて生活をしていた。その生活ぶりは、酔った父親を迎えに行って、かかえて真冬の道を2キロ歩いて帰ったことが何度もあったそう。

しかも父の女性関係は乱れていたようで、舟木さんは父親が亡くなるまで9人の女性を母親と呼んでいたそうです。

このように幼少期を苦労した舟木さんですが、芸能界に入り一躍スターにのし上がりました。

しかし、人気絶頂から30代半ばから40代前は低迷時で苦労し、嫌な思いもしてきたようです。

商業施設の営業に行った時
敷地内の喫茶店でお茶を飲んでると、

「今さら舟木一夫もねえよな。お客なんか来るのかい」

といった会話が聞こえてきた。

タクシーに乗ると
舟木さんが「どこそこにお願いします」って言うと声でバレ、

「舟木さんですか」
「私の青春時代、みんなで『学園広場』を歌ったもんです。いい時代でした」。

お金を払おうとすると、

「けっこうです。いい記念になりました」

ってスーッと行っちゃう・・。

舟木さんは、罵声よりもそっちのほうがイタかったといいます。

ヒット曲に恵まれず、また信頼していたスタッフとのトラブルが続き、ついに舟木さんは1972年に心身の不調が原因で、自殺未遂し、その後さらに2度ほど試みています。

立ち直り

最後、歌手をやめる前にもう一度だけステージに立とうと思い、奮起した舟木さん。

そのステージで、思いがけずファンに「頑張れよ!」と激励の声をかけられたという。

「自分があってのお客さんではなく、お客さんあっての自分。ならば彼らのために歌を歌い続けるべきではないか?」

そう考えた舟木さんは、同じ風景の中を歩いてきた同世代のファンのために一生歌い続けることを誓ったといいます。

諦めずに歌い続けた舟木一夫さん。立派な方で素敵です。

まとめ

一度は忘れさられたかと思われた舟木一夫さんでしたが、決してファンがいなくなったわけではありませんでした。

全国各地で行われる地道なコンサートや、自身が座長公演する歌謡ショーやお芝居は、今も大人気。

これからも頑張っていってほしいと思います。

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