髙橋真梨子、夫のヘンリー広瀬との馴れ初め。波瀾万丈人生の歩む


髙橋真梨子、夫のヘンリー広瀬との馴れ初め。波瀾万丈人生の歩む
出典元:ザ・ミュージックス 公式サイト

髙橋真梨子さんといえばやっぱり『桃色吐息』が有名です。最近では激ヤセぶりが心配されている声が多数ネット上で話題に。

そんな髙橋さんについて調べていきたいと思います。

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髙橋真梨子 プロフィール・経歴

【芸名】髙橋真梨子(たかはし まりこ)
【本名】広瀬 まり子(ひろせ まりこ)
【出身】福岡県福岡市
【生年月日】1949年3月6日
【血液型】駒沢学園女子高等学校卒
【その他】ビクターエンタテインメント/ザ・ミュージックス 所属

ジャズプレイヤーだった父の影響で、14歳からジャズの勉強を始める。

16歳で上京し、ジャズピアニスト柴田泰さんに歌を師事。

高校卒業後一時博多に戻り、ライブハウスで歌を歌う。

ペドロ&カプリシャスのリーダー、ペドロ梅村さんの誘いで再び上京。

1972年、ペドロ&カプリシャスの2代目ヴォーカリストとなり、翌年には『ジョニィへの伝言』でレコードデビューし大ヒット。

その後『五番街のマリーへ』『陽かげりの街』などヒットをとばす。

1978年、ペドロ&カプリシャスを離れ『あなたの空を翔びたい』でソロデビュー。

1982年、シングル『for you…』第11回東京音楽祭世界大会にて金賞を受賞しロングヒットに。

1984年、『桃色吐息』が大ヒット、アルバム『Triad』が第26回日本レコード大賞第1回アルバム大賞を受賞。

以降、髙橋さんの人気は不動のものに。

夫のヘンリー広瀬とは?

髙橋さんの夫は、音楽プロデューサー兼ギタリスト、キーボーディストのヘンリー広瀬さん。妻の髙橋さんをプロデュースした代表曲には『桃色吐息』『はがゆい唇』などがあります。

ヘンリー広瀬さんのお父様は相撲取り、お母さまは岐阜の料亭の娘さんだったそう。

1993年、かねてより同棲中だった2人は、10年の同棲生活を経て結婚に踏み切ります。

この時、ヘンリーさんが49歳、高橋さんが43歳。

そんな2人の結婚の馴れ初めは、バンド「ペドロ&カプリシャス」のメンバーとして知り合います。

髙橋さんはボーカルを、旦那さんはサックス・キーボードを担当していました。

その後、ヘンリーさんが先に「ペドロ&カプリシャス」を脱退し、髙橋さんがソロとして活動する際に、自身がプロデューサーとなり、嫁である髙橋さんを支えたそうです。

子供は?

どうやら2人の間に子供はいないようですね。

いない理由は何だったのでしょうか・・?余計なお世話というものですけれどね。

ネット上では不妊治療をしていたのでは?となどといった書き込みもあったようですが、この辺の情報は定かではありません。

結婚して20年以上経った今も2人はラブラブな関係。子供がいても冷めている夫婦は多数います。

憧れのご夫婦です。

病気

3年後が経過し髙橋さんが47歳の時、突然コンサートの最中に歌えなくなってしまう。

ヘンリーさんは当時のことを

「夫として、夫婦で病気を一緒に乗り越えていこう」

と思ったといい、

医者から太陽を浴びた方がいいとアドバイスされるや、自転車を2台買って引きこもりがちだった髙橋さんを外に連れ出し、

さらには、家事ができなくなってしまった髙橋さんのために栄養たっぷりで食べやすい料理を工夫したりして髙橋さんを支えました。

髙橋さんは、改めて夫の支えに感謝しながら

「本当に、幸せで、ラッキーだったと思いました」と。

2人で乗り越えるってなんて素敵なことなんでしょうか。病気は辛いですけれど、改めて夫のことを好きになるキッカケってあるんですね。

波乱万丈

父・森岡月夫は広島鉄道局、母・髙橋千鶴子は広島市内の銀行に、それぞれ勤務時の1945年8月6日、米軍の原子爆弾投下により被爆。

戦後、国鉄を辞めてプロのジャズクラリネット奏者を目指した父は、朝鮮戦争下で米軍基地が多くジャズが盛んであった福岡に移る。

まもなく当時1歳だった髙橋さんも母に連れられて博多に転居。

5歳の時に両親は別居、髙橋さんは母と博多に残ります。

小学校3年・10歳の時に父母の離婚成立で、母親の「髙橋」姓となる。

親権は裁判によって争われたが、父は髙橋さんを引き取ることもできなかったという。

父は広島に戻り、広島市内のクラブでジャズプレイヤーとして働いていた。

そして髙橋さんは、大好きだった父に、年に数回広島まで会いに行っていたそうです。

その時の父は、歌手になることについて

「いいんじゃないか」

ただし「ポップスとかアイドル的な歌手は、僕は望まない。歌うなら、難しい曲」

と言われたようです。

さらには、

「スタンダードジャズとか、名曲みたいなものから始めた方がいい」

とアドバイスされたという。

そのことが、彼女の音楽活動の原点になった。

しかし、父は被爆が原因で長らく後遺症に苦しんだのち、37歳という若さで亡くなった。

福岡市立高宮中学校を卒業。

髙橋さんは16歳の時、歌手になるために上京。

一方で、母との思い出について、いい思い出はあまりなかったという。

母は髙橋さんが子供時代に父親が病気で働けなくなり、治療代を稼ぐため夜の商売をするようになる。

それからというもの母は不倫をし、いつも一人ぼっちだったという。

そして母は父が病気に苦しんでいる時もずっと、妻子ある男性との恋愛に夢中だったという。

そんな時、孤独の中で支えになったのは、音楽で『恋のバカンス』が流行していたザ・ピーナッツに憧れ、中学生で「歌手になりたい」と思ったそう。

両親が離婚した際には、母と2人福岡で暮らしていたが、不倫していた母のことは許せず確執が生まれていた。

その一方では、女手ひとつで育ててくれた母の気持ちはわかると、相対する気持ちに相当苦しんだそうです。

そんな髙橋さんですが、今でもコンサートで福岡を訪れたとき、必ず立ち寄る場所があるそうです。

その場所は、母が長年通い続けたお気に入りのイタリア料理店だそう。

コンサート後、母はいつも髙橋さんと夫のヘンリーさんをこの店に招いていたそうです。

その頃、母とはとうに確執は解消していたという・・。

しかし1998年12月31日、母は69歳で亡くなりました。

まとめ

髙橋真梨子さんについて書いてきましたが、いかがでしたでしょうか?

苦労されて今がある髙橋さん。病気のことは心配ですが、無理しない程度にまた素敵な歌を届けてほしいと思います。

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