増田セバスチャン、難聴を克服 凄腕アートディレクター 結婚や交友関係


増田セバスチャン、難聴を克服 凄腕アートディレクター 結婚や交友関係
出典元:増田セバスチャンオフィシャルブログ

【増田セバスチャン 難聴 克服 凄腕 アートディレクター 結婚 交友関係】

今や世界に愛される日本文化「カワイイ」。そんな「かわいい」を代表するのが「きゃりーぱみゅぱみゅ」です。彼女がデビューして以来、そのユニークな世界観のビジュアルを手掛け続けているのが、アートディレクターの増田セバスチャンさん。そんな彼について調べてみたいと思います

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増田セバスチャン プロフィール

【芸名】増田セバスチャン(ますだせばすちゃん)
【出身】千葉県
【生年月日】1970年8月7日

難聴を克服した凄腕アートディレクター

増田セバスチャンは、祖母が経営する呉服店の跡取り息子として育ちました。しかし、幼稚園に入った時、周りが増田さんの異常に気付きます。耳が聞こえていなかった。

病名は、難聴だったようです。今も高い音など、聞こえない音があるそうですが、普通の人のように生活できるようになったのは小学校に上がるくらいだったという

音のない世界で生きていたので、人より見えている色の数も凄く多かったように記憶しています。そういう経験が、今の作風に影響しているのではないか。と語っていました。

耳が聞こえないことで周囲と上手く関わることができなかった増田さんは、聴覚が回復してからも人付き合いは苦手でやがて不登校になりましたが、ある日転機が訪れました。

増田さんが18歳くらいの時、外に出るのが嫌になったそうでずっと図書館に通っていたという。そのなかで、手に取ってみた本が寺山修司さんの『書を捨てよ町へ出よう』だったという。

本ばかり読んでないで、とにかく町に出て行動を起こそう。行動を起こさないと何も始まらない。人生が始まらない」。そんなメッセージをこの本から受け取ったそうです

自分なりの生き方をしていいんだ、と。勇気をもらったそうです。

引きこもりがちだった青年は一転します。自己表現に目覚め実験演劇の世界に飛び込み、既成概念を壊すパフォーマンスに没頭する。また過去の自分と決別するために本名を捨てることを決意

そのときに、現在まで名乗り続けている「増田セバスチャン」が誕生しました。

その後もアルバイトをしながら活動を続けていた増田さん。実験演劇の世界でしか評価を得られないことに疑問を感じ、さらなる自己表現の場を模索していきます。

増田さん当時25歳の時、そうして模索した結果オープンさせたのが、ちょっとドキドキする店6%DOKIDOKI』でした。店頭に立つのは「カワイイ」づくしのショップガールたち。商品は増田さんが面白いと思ったもの。開店当時からただそれだけを並べてきました。

そして、この「6%DOKIDOKI」に通っていた一人が、きゃりーぱみゅぱみゅさんだったという。

きゃりーさんと接しているうちに増田さんは、きゃりーさんの自由奔放さ、大人になっていくに従って置き去りにしていってしまうようなピュアな感受性を持っていたことに気が付いたそうです。

こんな子が増えていけば、もっと原宿が楽しくなると思って、仕事を一緒にさせてもらったのが最初の始まりだったそうです。

原宿から世界中にカワイイを広めた仕掛人と言われる増田さんですが、現在はさらに「カワイイ」を単なるファッションとしてではなくアートとして伝えていくことにチャレンジしているそうです。

結婚は?

増田さんが結婚をしているのか気になる人も多いようですが、調べてみる限り結婚はしていません。年齢的にも結婚していておかしくないのですがどうやら増田さんは子供を作らない。と決めているようです。

どうして子供を?ということですが、増田さんが幼少期のときの家庭環境が悪かったことを語っているようです。幼い頃、愛情をあまりかけてもらえなかったという過去をかかえているようで、自分も子供に同じようにしてしまう恐怖があるようです。そうなると結婚は難しいことなのかもしれませんね。

交友関係

俳優の阿部サダヲさん、グループ魂のベース・小園竜一さんとは高校時代からの友人だそうです。そして「6%DOKIDOKI」の常連だったという森三中の大島美幸さん、篠原ともえさんとも交流があるそうです。

また宇宙飛行士・山崎直子さんは小学校、中学校の同級生だそうですよ。

まとめ

仕掛人からアーティストへ。そんな増田さんの今後の活躍が楽しみですね。

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