いっこく堂、ものまね・腹話術師で海外でも活躍 貧乏になった理由 結婚は?

【いっこく堂 ものまね 腹話術師 海外 活躍 貧乏 結婚】
斬新的なアイデアとクオリティの高い芸で人々を魅了している、いっこく堂さん。そんな彼のことについて調べてみたいと思います。
いっこく堂 プロフィール
【芸名】いっこく堂(いっこくどう)
【本名】玉城一石(たまき いっこく)
【出身】神奈川県高座郡寒川町にて誕生。沖縄県沖縄市で育つ
【生年月日】1963年5月27日
【身長】175
【血液型】A映画鑑賞・ジョギング
【学歴】沖縄県立北谷高等学校卒
ものまね・腹話術師で海外でも活躍
高校在学中は、教師や芸能人の「ものまね」を体育館の舞台でよく演じていたそうで「ものまね」が原点だった。
高校卒業後、ドラマ『池中玄太80キロ』の影響を受けて俳優を志し、日本映画学校(現・日本映画大学)に入学し卒業後は、1986年に劇団民藝に俳優として入団する。
劇団の宴会で腹話術を披露したところ、民藝の中心俳優だった米倉斉加年さんから腹話術師への道を勧められ、修行しに海外留学に行く。
そんな、努力を重ねて自ら芸を一新させた腹話術。2体の人形を同時に操るステージや時間差で声を出す「1人衛星中継」などはまさに神業です。
1998年、『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』のライブ企画「第11回OWARAIゴールドラッシュII」で優勝をきっかけにブレイクする。
そして2000年1月19日、念願である日本初の腹話術ビデオ『いっこく堂劇場』を発売する。その売れ行きは、1日で初回出荷5000本が完売するという凄さ。
2000年にはラスベガス「世界腹話術フェスティバル」でオープニングを飾りました。2003年に全米ツアーを開始、2004年「第6回中国上海国際芸術祭」にて 中国語で上演。
2005年はアジアツアー(上海・香港・台北・フィリピン・シンガポール・マレーシア・タイ)を実施。2006年はオーストラリア・シドニー 公演をするなど海外でも盛んに活動しました。
【受賞歴】
- 「平成11年度文化庁芸術祭」新人賞受賞
- 「第16回浅草芸能大賞」新人賞受賞
- 「第37回ゴールデン・アロー賞」芸能新人賞受賞
以降、テレビ「ものまね番組」に出演するなど現在もなお活躍し続けています。
貧乏になった理由
両親が経営していた家業のレストランが「コザ暴動」の影響で客足の減少でつぶれました。借金を返すために父は外国船に乗り込み、母は中華料理店で最終のバスがなくなるまで働いたそうです。
戦争で死の淵を経験した両親からは「ものを食べられるだけで幸せ」と言い聞かされて育ってきたいっこく堂さんにしてみれば、そんな苦しい家庭環境でも、貧乏と思ったことはなかったそうです。
しかし遊びに来た友達に「おまえのうち貧乏だな」と言われ、初めて気づき驚いたという。
つつましい暮らしぶりは既に周知で知られていたこともあり、友人の家に遊びに行くと、みんな「食べていきなさい」と迎えてくれたそうです。
たとえ貧乏な暮らしぶりでも、そう思わせないご両親は凄いですし周りの人達が温かい人たちでよかったですよね。
結婚は?
いっこく堂さんは結婚しているのかどうかは特に公開されていなくてプライベートが謎に包まれているようですが、どうやら劇団時代の女性と結婚して高校生にもなる娘さんがいるそうです。
また、お嫁さんがいっこく堂さんのマネージャーをしていた時期があったという噂も囁かれていたようです。
まとめ
いっこく堂さんは、これから更に進化を続け新しい腹話術を披露してくれる事でしょうね。頑張ってっ下さい、応援してます。