洞口依子、夫(ディレクター)と子宮頸がんを克服 なぜ復帰できたのか?


洞口依子、夫(ディレクター)と子宮頸がんを克服 なぜ復帰できたのか?
出典元:テアトル・ド・ポッシュ公式サイト

【洞口依子 夫 ディレクター 子宮頚がん 克服 復活】

洞口依子さんは実力あるそして個性派女優さんであります。そんな洞口さんについて調べてみたいと思います。

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洞口依子 プロフィール・経歴

【芸名】洞口依子(どうぐち よりこ)
【本名】葛西依子(かさい よりこ)
【出身】東京都武蔵野市
【生年月日】1965年3月18日
【血液型】A
【その他】テアトル・ド・ポッシュ 所属

高校時代に1980年11月7日号の『週刊朝日』の表紙を飾ります。その後「EPICソニー・スターメイキングコンテスト」で優勝。1983年に雑誌『GORO』の「激写」モデルとして芸能界デビューする。

1985年の映画『ドレミファ娘の血は騒ぐ』で、主役として初出演する。この時、黒沢清監督、伊丹十三さんと共演。この作品以降も黒沢監督や伊丹監督の映画に多く出演することに。

1986年、ドラマ『女の人さし指』で初出演。その後、1992年ドラマ『愛という名のもとに』1997年『ふぞろいの林檎たちIV』といった作品で一躍人気俳優の仲間入りとなる。

プライベートでは
1997年にNHKのディレクターと結婚します。そして1999年、ウクレレバンド「パイティティ」を結成する。

2004年に「子宮頸癌」を発病し、辛い闘病生活に入った。しかし2006年、ネットシネマ『マクガフィン』にて復帰しました。2009年11月7日、渋谷の映画館にて『洞口依子映画祭』が開催されました。

夫(ディレクター)と子宮頸がんを克服するまで

洞口さんは、04年1月に子宮頚(けい)がんを宣告されました。そして子宮を摘出しましたが約4ヶ月で活動を再開されますが、体調不良に悩まされ、一時は自殺を考えるまで追い込まれていったそうです。

体調不良に気がついたのは03年10月、38歳の時だったという。夏の疲れが取れず、ひどい腰痛に悩まされ、不正出血や立ちくらみも起きるようになっていったという。

そして年明け1月に病院に行き、診察の結果を聞きます。するとその場で子宮頚がんを宣告されたという。それがあまりにもあっさり言われたため、洞口さん曰く「そんなドラマチックなことが私の身に起きるわけがないだろう」と実感がわかなかったという。

その後は検査の日々。子宮がすごく痛むようになり、体が衰弱し始め直腸への転移の可能性も考えられ、一時は手術も危ぶまれる状態だったという。

検査から約2週間後の2月、8時間に及ぶ大手術が行われた。子宮と卵巣を摘出し、付近のリンパ節も切除抗がん剤と放射線治療を行うため、そのまま2ヶ月の入院生活となりました。

退院後、体調は回復せずホルモンバランスが崩れ、一時は20キロ近く体重が増えたという。しかし、体力を維持するためにダイエットもできなかっうたという。

洞口さんは、がんの手術を伏せたまま5月に活動を再開するが、体の自由がきかず車椅子で収録現場に通うような状態。更年期と同じ症状が出て、情緒も極端に不安定になっていきます。

失意のどん底に落ち込み、酒びたりとなる。自殺も考えて裸足で道路の真ん中を歩き、対向車に体当たりしようとしたこともあるほど辛い日々を過ごされました。

このように精神的に限界の中再起のきっかけとなったのは1ヶ月間の沖縄療養だったという。状況を変えなければと思い、沖縄の友人宅を訪れたという。

リラックスした雰囲気の中、歓迎の「ビーチパーティー」が開かれたそうで洞口さんは沖縄の海に浮きながら、太陽の光をたっぷり浴び、体にエネルギーを取り戻していったそうです。

こうして徐々に快復されていかれたようで、ここに至るまでには旦那さんの理解あってのことだったそうです。

離婚も考えた洞口さんでしたが、旦那さんはいつも笑顔で大きな愛で彼女を見守ってきたそうです。素敵な旦那さまですね。

復帰まで

洞口さんにとって支えとなったのが「書くこと」だったそうです。ブログを立ち上げて日記を書いたり、新聞の夕刊コラムを書いたりと活動を始めたという。

07年6月に「病気を引きずっている自分と訣別したくて」と闘病の舞台裏をつづった著書『子宮会議』を出版しました。完全に立ち直るまで3年かかったそうですが、現在も女らしさは変わらないまま、元気に活動を続けられています。

まとめ

現在、明るく振る舞う洞口さんを見ると、同じ病気で苦しんでいる人に勇気を与えられているでしょうね。それぐらい影響力ある人だと思います。今後も頑張っていってほしいです!

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