梓みちよ、さんまが原因で干された?結婚・離婚を経て現在 実はこんな人

梓みちよ、さんまが原因で干された?結婚・離婚を経て現在 実はこんな人
出典元:アラベスク公式サイト

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「こんにちは赤ちゃん」で大ヒット曲をとばし、アメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ梓みちよさんについて調べていきたいと思います。

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梓 みちよプロフィール・経歴

【芸名】梓 みちよ(あずさ みちよ)
【本名】林美千代(はやし みちよ)
【出身】福岡県
【生年月日】1943年6月4日
【血液型】O
【学歴】宝塚音楽学校中
【その他】アラベスク所属

福岡女学院卒業後に宝塚音楽学校に入学し、在学中はトップの成績をおさめたとう。

宝塚在学中に渡辺プロダクションのオーディションに合格し上京。よって宝塚は中退しました。その後、日劇にて歌手デビュー。

1963年、NHK『夢であいましょう』7月の歌になった「こんにちは赤ちゃん」が番組内で募集した譜面の応募総数が1万通を超える大反響となる。

同年11月に発売されたレコードは100万枚を超える大ヒットし、第5回日本レコード大賞受賞曲となり、翌年のセンバツ高校野球の開会式行進曲にもなった。

その後、数々のヒット曲を飛ばし、昭和天皇の御前で歌を披露した。初めての天覧歌謡曲となる。また紅白歌合戦に出場するなど活躍していく。

日本レコード大賞で「大賞」、日本歌謡大賞「放送音楽賞」、ゴールデンアロー賞「音楽賞」を受賞するなど多数の賞を受賞している。

代表曲
・1962年「ボッサ・ノバでキッス」(デビュー曲)
・1963年「こんにちは赤ちゃん」(日本レコード大賞「大賞」受賞曲)
・1966年「ねむの木の子守歌」(皇后陛下御作詞曲)
・1966年「ポカン・ポカン」
・1967年「お嫁さん」
上記の曲はごく一部で1967年以降も多数のヒット曲を飛ばしています。
詳しい曲を知りたい方はWikipediaをご覧下さい。

浮き沈んだ時期もありましたが、乗り越えて70歳を過ぎた現在でもコンスタントに歌謡番組に出演し、芸能活動を行っている。また実業家として「梓プラチナローズジェル」という化粧剤を監修している。

実はこんな人

デビューから1960年代は清純派のイメージで売っていたようですが、実際は10代の頃から飲酒や喫煙を行っているなど清純とはほど遠いものだったという。

本人曰く、そんなイメージが嫌で仕方なかったと発言している。そして本人の意向もあって、1970年代以降は大人の色気へとイメージチェンジしていったそうです。

また、愛犬家としても知られていて、犬の名をつけた楽曲(内容は全く犬とは関係ない)や著書『ウチの子、犬じゃありません』を出版している。

さんまが原因で干された?

梓さんは、1986年10月6日に放送されたテレビ『さんまのまんま』に出演した時、さんまさんの失礼な言動に怒りを憶え、シャンパングラスをさんまさんに対してかけたという。(結局、収録中に5回もシャンパンをかけました)

放送後、視聴者から「梓はひどい女」という電話が何本もかかったという。この頃から梓さんのテレビ露出が減少したことから、マスコミや大衆からバッシングを受け芸能界から5年間姿を消したという噂が広まったそうです。

結婚・離婚を経て現在は

梓さんは、1971年に俳優の和田浩治さんと結婚しました。しかし翌年の1972年に離婚を報告しました。

離婚後、週刊誌で下記のような記事が

「あの人はせいぜい同棲までの男だった」と言えば、和田も「みちよの“あのこと”だって僕は黙っているんです」とバトルを繰り広げるなど泥沼の離婚劇が続いた。
(引用元:nikkan-gendai)

一度は好きで結婚した相手なのになんだか悲しくなりますよね。

バトルの後、和田さんは3年後に銀座の有名なママ・田村順子さんと再婚しました。そんな幸せな生活から和田さんは、86年に胃がんで42歳という若さで亡くなられました。一方の梓さんは、現在も独身のまま元気に過ごされています。(2015年時点:72歳)

まとめ

実はIKKOさんの憧れの女性でもあるという梓みちよさん。70歳を過ぎた今でも色気ある素敵な女性ですね。

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